新子安より

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冷静と冷静のあいだ

そういえば、草木のにおいがあった。

何度目かわからない現実逃避でやってきた山には、人が多く溢れていた。

記憶を辿れば辿るほど、顔がぼやけて思い出せない。あの日、僕たちは日常をなんとか抜け出したくて、申し訳程度の装備で山頂を目指した。なんとなく意気投合した彼女と二人で出かけるのは、初めてのことだった。

山を舐めきったファッション。そう言って二人で笑い合ったのは、最初だけだった。春とはいえ、その日は暑く、事前に調べていたよりもハードな行程だった。日頃の運動不足が祟る。何度か足を滑らせそうになりながら、心地よい汗をかいていた。

「気持ちいいですね」

「虫が多くてうっとうしい」

「でも、身体を動かすのはいいですよね」

「虫が多すぎる。二度と山には登らない」

相変わらずだ。この人は、こういう人だった。

中間地点のようなところで、開けた場所があった。そこには、春の花が咲き乱れ、草木がここぞとばかりに生い茂っていた。すると、誰からともなく、写真を撮り始めた。自分の撮りたい写真を好き勝手に撮る。草木を見たり、なんとなく道行く人を観察したりしていた。

こんなの久しぶりだ。

会社でも家庭でも、常に何かに追われていた。心を亡くすと書いて忙しいとはよくいったもので、当時の僕は心を殺しきっていた。そこからたびたび生まれていた悲鳴を、さらに覆い隠して、それが社会で生きることと信じて過ごしていた。この日ばかりは自由で、何にも縛られない。束の間の休息と思いつつも、この時間をどうしたら続けられるか、どうすれば終わらずにいられるかを考えていた。

そのとき、ふと、景色を眺めた。そこに写真を撮る彼女の後ろ姿があった。本当に何の気なしに携帯のカメラを起動して、緑豊かな風景と、そこに不思議と調和する彼女の小さな後ろ姿を収めた。これなら怒られないだろう、そう思っていた。

頂上について、なんとなく休んでいたら、空腹に気づく。そろそろ食事をとりたいところだったので、取り立ててやりたいこともない僕たちは、下山することにした。強がってはいたが、疲労はピークに達していた。あと半分、さくっと下りてしまおう。

行きとは違うコースを選び、坂道をくだっていく。会話も少なくなり、淡々と山道を歩いていた、そのときだった。彼女が足を滑らせ、なんともかっこわるい形で、転んだ。先を進んでいた僕は、身体をひるがえして駆け寄った。

我ながら不思議なのだが、ここで少し躊躇した。手を差し伸べて、身体を起こすのを手伝うだけのことなのだが、ここに来て、どことなく照れ臭いような、なにか恐ろしいことをするような、そんな感覚に陥った。

「大丈夫ですか」

痛い、もう嫌だ、としか言わない彼女の手は、無機質に薄く、体温が低くて、生きていないような感触だった。こんな奴助けるんじゃなかった、と心底思った。そして少しずつ、先ほどから抱いていた違和感についてはっきりしたことがあった。手をつなぐ行為によって、この距離感が壊れてしまうのではないか、これまで保てていたものが、崩れてしまうのではないか。その懸念だった。

僕たちはある程度の年齢になってから、「大人だから」と免罪符を使うようになった。大人だからわかっているはずだ、大人だからできるはず、大人だから通じるはずだ、と。それが枷になっていたことに気づいたのは、それからずっと後のことだったけど、このときもそうだった。

大人だから、耐えなくてはならない。大人だから、感情を出してはならない。

 

下山して、小さな食堂で冷たい蕎麦を食べた。僕と彼女の共通点は、蕎麦が好きということぐらいだったから、好都合だった。家族連れや夫婦がいるなかで、黙々とそばを食べた。これでもか、というぐらい開放感のある店内は、虫も出入りし放題で、これまたぼけっとするのには最適だった。なんとなく外を眺めているだけで、心のエネルギーを充電できた気がした。

尋常じゃない汗をかいていたので、近くの温泉に行くことにした。登山のあとの温泉、この字面だけで100点に近い休日を獲得したと思う。登山客で混雑した大浴場は、露天風呂やサウナ、水風呂といった幸福度の源が完備されており、思いの外リラックスできた。

大満足で浴場を出て、どうせ自分のほうが早いだろうと高をくくり、休憩所で缶ビールを買って飲むことにした。なんとなく抜け駆けのような気がして、少し奥まった場所を見つけて完全に「おひとりさま」モードを満喫していた。

しかし。

「え、なんで飲んでるの」

後ろから突如聞こえた声に驚き、振り返ると、湯上りで少し上気した彼女がそこにいた。柄にもなく動揺してしまい、これはその、などと下手くそな弁解をしていたら、缶ビールを2本差し出してきた。

「すいません、ちょっと脱水になりまして」

ようやくそれらしい言い訳が出たところで、ふたりで改めてビールを飲んだ。動揺したのは、ビールをひとりで飲んでいたのがバレたからであって、湯上がりの姿を見て息を飲んだからではない。きっと、そうに違いない。

帰りの電車、特に会話はなかった。窓の外の景色を言い訳がましく眺めていた。この人はいま何を考えているんだろう、と思索を巡らせたりもしたけれど、すぐにどうでもよくなった。この人は、考えて理解できる人ではない。そう思うと途端に気が抜けて、笑いそうになってしまった。人間のことを理解できるという考えこそが浅はかで、おこがましいことだと思った。

 

家に着くと、その日の写真が送られてきていた。そこにはうっとうしいほどの草木に混ざって山を登る男の後ろ姿があった。